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全国ネットワーク歴研だより
(地域歴研・テーマ歴研、連携団体レポート)

北海道・東北 関東・甲信越 東海・北陸 関西

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北海道・東北

★北海道歴史研究会
*4月9日(水)第169回歴史勉強会は丹野忠志さんが「北海道における土木建築の歴史(三)」を発表した。はじめに、蛎崎慶広が徳川家康より「松前」を改称し幕藩体制の一員になり。松前城の築城、五稜郭の建設と大型土木建築工事が始まり。1886年北海道庁設置となった。1886年代から1920年ごろまで30年間は北海道移住の最盛である。1991年以後の屯田兵は平民屯田とよばれるが、開拓使経営の幌内炭鉱、北炭に払い下げられた。1900年設立の「北海道拓殖銀行」、水産業は特に鰊漁業の隆盛がめざましく、工業は日露戦争後と第一次世界大戦の好況を経て、日露戦争後南カラフトが日本領となり、明治時代後に炭鉱労働者からはじまった北海道の社会運動。1931年満州事変、日中戦争、太平洋戦争、労働力不足を補うため朝鮮人、中国人の強制労働が行われた。札幌道路車道改築、手宮〜札幌間の鉄道、札幌〜幌内太間の鉄道。開拓使時代の三大建築といわれるものに開拓使本庁、豊平舘、札幌農学校、すべて洋間である。囚人道路開削、樺戸監獄は橋梁や庁舎を担当した。「ルベシベ」まで開削、網走〜旭川間五十四里三十四町にわたって幅60bの道路を造る。「赤レンガ建築」間口61b奥行き36b塔頂部までの高さ33b、日本でも代表的な建築である。1969年国の重要文化財に指定された。北海道鉄道、明治23年2月資本金八千万円で北海道鉄道会社を超して社長に元道庁長官北垣国道重役がなった。北海道は開拓初期から開拓に必要な労働者が極度に不足していた。それで考えられたのが農業には屯田兵、建築工事には集治監による囚人だった。大正時代に多くの業者が独立したのは、その背景に工事の増加があげられる。伊藤亀太郎(伊藤組の開祖)は弟子入り6年の徒弟奉公をする。
     〈レポート 地蔵慶護〉
【連絡先】〒063・0037
北海道札幌市西区西野七条9丁目2の12 田中貢(事務局長)方

関東・甲信越

★常総歴史研究会
*4月27日(日)柏市教育福祉会館で定例会開催。「御霊神社物語」のテーマで中村義保会員(柏市)が発表しました。出席者は39名。京都に鎮座する上下の御霊神社に祀られている十人の御霊について、その経緯から話が進められた。称徳天皇が皇嗣を定めないまま崩御したので臣下が天智天皇の孫白壁王を天皇に推し、その妃は聖武天皇の娘井上内親王間に授かったのが他戸親王で皇太子となるが、その他戸親王と井上内親王が天皇呪詛の疑いで幽閉され、夫々が憤死。この二人が怨霊となる。新たな皇太子となった山部親王が後に即位して桓武天皇となり、その皇太子に実弟の早良親王がなる。奈良の都にはいろいろな弊害があり、長岡京に遷都。しかし遷都の主唱者藤原種継が暗殺され、これに関与していたとされた早良親王を淡路に配流とするが途中で死去し怨霊となる。発表は清和天皇までの各天皇擁立に対する藤原氏内部の権力の争奪や複雑に絡む婚姻関係等を判り易く説明され、最後に桓武天皇はその生涯、早良親王の怨霊に悩まされたと結ばれた。きめ細かく整理された相関図・その時代の天皇家・藤原氏の略系図、御霊神社に関わる年表などが配布され、難解な構図が理解でき、発表者の研究への深厚に敬服いたしました。
*5月18日(日)柏市教育福祉会館で15時20分から常総歴史研究会創立二十五周年記念大会を開催いたします。歴史・紀行作家楠戸義昭先生による「天璋院篤姫」を記念講演いたします。     〈レポート三好賢司〉
【連絡先】〒277・0066
千葉県柏市中新宿1の23の10
立川誠一(世話人代表)方

★史訪会
*活動テーマに沿って、毎月首都圏を中心に、各地の史蹟探訪を行っています。
*5月31日(土)神奈川県箱根町〈一日 徒歩・路線バス・電車〉「麦秋、箱根峠越えの鎌倉古道・湯坂路を歩き、石仏・石塔群を拝観+箱根湯元温泉」
六道地蔵磨崖仏・元箱根石仏石塔群保存整備記念館・精進池・応長地蔵・石造宝篋印塔(伝多田満仲墓)・五輪塔(伝曽我兄弟&虎御前の墓)・二十五菩薩磨崖仏・芦の湯温泉・東光庵跡・湯坂路・鷹ノ巣山(城跡)・浅間山・玉簾ノ滝・早雲寺・正眼寺・熊野神社・宗祇終焉の地・箱根湯本温泉(温泉発祥の地「和泉」入浴休憩)等
*6月8日(日) 茨城県鹿嶋市・神栖市&千葉県香取市 〈一日 マイクロバス〉「あやめ咲く水郷、鹿嶋市を中心に、東国三社&史蹟を回る」ハマナス自生南限地・慈眼寺・津賀城跡・潮騒はまなす公園・文太長者宅遺跡称地・霜水寺西堂跡・大福寺・景清の松記念碑・梅香寺跡・塚原卜伝墓・長吉寺・宮中野古墳群・カシマサッカースタジアム・神向寺・鹿島神宮(古武道奉納演式)・鹿島城跡・天狗党の墓・鎌足神社・根本寺・鹿嶋宇宙通信センター・櫻花公園(航空特攻兵器「櫻花」掩体壕跡&櫻花レプリカ)・息栖神社・香取神宮・飯篠長威斎の墓等
*6月22日・23日(日・月)東京都八丈町〈一泊二日 ANAエアー・レンタカー〉「夏至、八丈島の歴史と文化を学び&自然を満喫す」[三根]近藤富蔵翁之墓&顕彰碑・尾端観音・人間魚雷「回天」収容壕跡・登龍峠・西山卜神居記碑・永郷アロエ園・八丈富士[大賀郷]八丈牧野ふれあい牧場・宗福寺・赦免花と慈運法印墓・島酒之碑・八丈植物公園・宇喜田秀家墓・南原千畳敷海岸・宇喜田秀家公と豪傑姫の碑・八丈島歴史民俗資料館・八丈島甘藷由来碑・優婆夷宝明神社・陣屋跡・馬路玉石垣の道・六脚の高倉・島木赤彦歌碑・為朝神社 ・城山・大坂トンネル・八丈ビューホテル(泊)[樫立]不受布施派流憎墓・服部屋敷[中之郷] 黄八丈織元・大御堂・梅辻規清墓・TEPCО八丈島地熱館・三原山・裏見ヶ滝・中之郷温泉[末吉]名古の展望台・丹娜婆墓・八丈島灯台・長登路屋敷等
ブログのパスワードのお問い合わせは弊会事務局へどうぞ。
http://shiho-kai.cocolog-nifty.com/blog/
E-mail info@shiho-kai.net

◎歴史研究会会員の皆様、お誘い合せの上、お気軽にご参加下さい。
〈レポート 石黒紘一(総務部長)〉
【連絡先】〒277・0871 千葉県柏市若柴168の68
茂木祐一(事務局長)方

★文学と歴史の会
*12月13日(木)講演会。講師=中島清。演題=「漱石と坊ちゃん」
*1月10日(木)新年顔合わせ。今後の活動方針の協議。
*3月13日(木)研究発表会。発表者=宮ア空夫。演題=「王朝日記文学最後の作品『竹むきが記』について」。
*4月10日(木)平成19年度会計監査。〈レポート 宮ア空夫〉
【連絡先】〒370・0707群馬県邑楽郡明和町田島596高橋豊(代表幹事)方
または、〒374・0001 群馬県館林市大島町521の8宮ア空夫(事務局)方

★中国の歴史と文化を学ぶ会
*4月13日(日)桜も満開お花見日和となった午後、中文会は大田区民センターにおいて四月例会を開催した。当日は会員、傍聴者を含めて48名が出席し、発表や講演に熱心に耳を傾けた。例会は三堀副会長が司会を担当し、若松副会長が新会員の紹介をふくめて挨拶をおこなった。当日の例会では二名の会員発表と専門講師の講演がおこなわれた。▼最初の発表は、麻奥晃弘氏で演題は「中国上海からの報告─パート4─[上海の歴史発見]」であった。今回は「上海の先史時代」「上海租界の誕生」「魔都上海へ」「上海租界の終焉」「中国人の手による[上海]」を中心にして、上海の歴史を興味ぶかく語った。▼次の発表は犬塚昌一氏で、演題は「中国の歌謡─パート13─[編鐘の音楽とチャイナメロディ上海]」であった。懐かしい戦前のチャイナメロディ……夜来香。何日君再来、上海ブルース、蘇州夜曲など九曲の紹介があり、しばし当時の時代に思いを馳せた。▼最後は産業能率大学経営学部教授欧陽菲先生の講演で、演題は「中国の経済成長と日本の経験」であった。欧陽先生は「中国の経済成長の特徴」「中国経済成長のネック(問題点)」「その限界を乗り越えるために必要なノウハウ─日本から学べる」を中心にした中国経済の現状と問題点について、スライドを使って具体的に論じた。そして日本企業の物作りの優れた特色について高く評価され、われわれ日本人が励まされる場面もあった。達者な日本語と鋭い分析、そして「日本から学ぼうとする真摯な先生の姿に出席者は大きな感銘をうけた。▼充実した例会の後は、場所を和食の店に移して、恒例の懇親会を開催した。懇親会には41名が参加し、お花見時期にふさわしく賑やかで華やいだ交流の宴となった。
*中文会は、有益で楽しい会です。年会費4000円、例会参加費1000円、例会では会員発表や専門家の講演があります。年一回の会報や年三回の『中文会ニュース』の発行もあります。皆さまのご参加をお待ちしています。〈レポート〈比留間長一〉
【連絡先】359・1111 埼玉県所沢市緑町3の2の2
佐山正典(事務局長)方

★神奈川歴史研究会
*4月20日(日)井上会長ご案内による、当会恒例の鎌倉歴史散策を行った。24名の参加があった。当日はまさに陽春のさなか、冬の寒さも忘れ、楽しい一日を過ごすことができた。今回のテーマは、鎌倉駅東側の旧幕府ゆかりの地への訪問と、塩の道と知られている金沢街道を踏破することであった。研究心に富む歴史愛好家をターゲットとしているため、単なる景観だけを楽しむ若者のツアーとは異なり、行く場所もユニークで、比較的余裕をもって見学をすることができた。まず、旧幕府関連の所在地はいくつか存在するが、今はいずれも個人の住宅地となってしまっており、そっけない冷たい石碑があるだけであった。プライバシイ保護の観点からも、そこに住んでいる人のことを考え見学者もおそるおそる覗くだけである。概して鎌倉駅周辺は、住宅開発が先行して貴重な遺跡は破壊され、文化財の発掘・保存が後手にまわってしまっていると言えよう。これでは、鎌倉を世界遺産へ登録しようという運動にも影響を与えるのではないだろうか……。面白い発見もあった。源頼朝の墓の近くの小高い丘の上に、頼朝の嫡子でありまた薩摩の島津氏の祖といわれる「島津忠久」の墓と、長州の毛利氏のルーツである「大江広元」・「毛利季光」の墓が仲良く並んであった。建立したのは江戸時代の文政年間であるという。それから約50年後の慶長年間に薩長同盟が結ばれた。これも何かの偶然の一致だろうか。墓の中で藩の祖たちはあらかじめ相談をしていたかもしれない。穏やかな鎌倉の海を眺めながら。*この地はそこかしこが春を謳歌していた。やわらかな樫の木の新緑、清楚にして可憐な白山吹の一重の花。どれをとっても美しさがあった。路傍の花は豪華さはないが、鮮やかに自分の存在をまた個性を強調していた。そんなところで、昼食をとった。*朝比奈峠入り口にある時宗光触寺には愉快な地蔵さんがある。お供えに塩をあげると、いつの間にか、人が気づかぬうち、嘗めてしまうという。とにかく人気があり、かっては商売繁盛の地蔵として賑わったらしい。塩嘗地蔵と言われている。朝比奈峠の登りは足場が悪くきつかった。数日前の雨のぬかるみがあり残り滑りそうだった。
*恒例の二次会は大船の居酒屋で盛り上がった。〈レポート 浅見 実〉
【連絡先】〒250・0875
神奈川県小田原市南鴨宮3の46の2 小嶋房治(事務局長)方
E-mail:rkikana@tba.t-com.ne.jp

★横浜歴史研究会
*4月6日(日)本年第1回の歴史散歩 宿場シリーズ を実施。題して「桜を愛でながら 平塚宿を巡る」。コースは、(集合10時)JR平塚駅―平塚八幡―平塚博物館―平塚総合公園(昼食)―光円寺(お菊の墓)―春日神社―上方見附跡―宿場街―江戸見附跡―お菊塚―JR平塚駅(解散15時半)。爽やかな天気に恵まれ、名残の桜を愛でながらの歴史散歩でした。参加者35名。
*4月9日(水)会場の都合もあり平日の開催。当日の発表者は左記の三名の方、出席者82名。▼発表者会員中西あき子氏、題は「女帝の時代」。飛鳥時代から奈良時代にかけての約180年に出現した、八代(うち二人は重祚)の女帝について通史的解説をし、そのうち聖武天皇を父とし、藤原不比等の娘、光明子を母とした孝謙天皇(46代、後に重祚して称徳天皇)を中心に当時の歴史的背景を検証された。この独身の女帝は史上名高い弓削道鏡との関係を深めていった。氏は、道鏡を、天皇家を危うくする逆賊扱いする従来の史観を否定され、両者の関係は深い愛情で結ばれた純粋なものであった、と結ばれた。▼発表者会員石川勝義氏、題は「頼朝の善光寺参詣は語る」。建久6年、頼朝は善光寺参詣を思い立つが、歯痛により延期。『吾妻鏡』は建久7年から頼朝が卒する建久10年初めまでの記事を欠いていて、頼朝の参詣は定かでない。一方、肥後相良家には「右大将家善光寺御参随兵日記」なる古文書があり、それには建久8年参詣の折に付随った者の詳しい名簿が記されている。氏は、相良氏の系譜を辿り『随兵日記』の信憑性を検証するとともに、善光寺参詣を事実とする数々の古文書を検証して、頼朝の善光寺参詣はなかったのではという結論を導かれた。▼発表者会員間淵二三夫氏、題は「おらが飛行機の四方山話」。人類は神話の時代から空を飛ぶ夢を追ってきた。人々は多くの文明の利器を創造し恩恵を浴してきた。なかでも特異の発明品は飛行機と自転車(オートバイ)と自動車のデファレンシャルギアー(内輪・外輪差自動調整)ではなかろうかと、おらは思っている。幸い航空界で飯を食った者として飛行機の飛行原理と空気力学や発展略歴、面白構造簡略の一端の四方山話をする。〈レジュメより〉ドイツのV2号ロケットの話、氏が関わられた数々の航空機の話、航空機のエンジンの話等々の「四方山話」をされた。〈レポート 齋藤宗久〉
【連絡先】〒249・0007神奈川県逗子市新宿4の13の13の903 大町頼勝(会長)方


東海・北陸

★静岡県歴史研究会
*4月27日(日)静岡市の天峰において、定例総会を開催。司会は懇親会も含め、堀川幸美氏が担当。篠原旭理事の開会の言葉で始まり、鈴木康弘会長の挨拶の後、総会成立の確認が報告され、松葉屋幸則が議長に選出されて議事に入った。平成19年度の活動報告が鈴木会長から、同会計報告が鵜藤満夫会計担当理事から、会誌刊行事業報告・会計報告が太田晴道相談役から、会計監査報告が林浩三監査担当理事よりなされ、各々承認された。次に平成19年度中に深津至輝副会長と岩田智孝理事が死去され、役員に欠員が生じていることから、新規に二人の補充選任が行われ、望月古亶氏と松葉屋が任じられた。なお、篠原旭氏が副会長に選ばれるなど、役員の担当替えも一部行われた。続いて平成20年度の活動計画案が鈴木会長から、同予算案が鵜藤理事から、会誌刊行計画案が太田相談役から説明され、各々承認されて議事は終了した。議事終了後、鈴木会長からゲスト出席された「東奥達心会」の丹治藤治氏が紹介された。最後に、篠原副会長より閉会の言葉があり、総会を終了した。懇親会にはゲストの丹治氏も引き続き出席され、太田相談役の乾杯の音頭で始まり、出席者全員が近況報告を行い、和気藹々のうちに終了した。今年度の活動計画は次の通り。歴史の好きな方のご入会、大歓迎です。
*5月25日(日)掛川市において定例研究会。
*6月28日(土)〜29(日)大阪藤井寺方面へ一泊二日の史跡見学会。
*9月7日(日)静岡市において定例研究会。
*11月2日(日)浜松湖北地域の日帰り史跡見学会。
*12月7日(日)静岡市において定例研究会。
*平成21年2月1日(日)三島市において定例研究会。〈レポート松葉屋幸則〉
【連絡先】421・0301 静岡県榛原郡吉田町住吉2767の3 鈴木康弘(会長)方

★しんあいち歴史研究会
*3月23日(日)京都は洛北に足をのばす研修会が行われました。「もう一つの幕末〜維新岩倉具視を中心に」と題して孝明天皇・和宮、堀河紀子(岩倉具視の妹)、村山可寿江(たか)をテーマに折り込む内容のものでそれぞれの軌道と生き様を探りました。担当は大谷浩士副会長。参加者39名。なお中村清編集副部長、後藤正研修部長、高橋浩子広報部長の三名がサポート。▼今回の研修は岩倉具視が主人公。明治維新の中心的役割を果たし元勲と称された具視には「赤貧洗うが如し」知られざる不遇な時期がありました。この不遇時代の幽棲先のある、かつての草深い洛北・岩倉村を訪ね具視の起死回生の軌跡を探ろうとするもの。▼岩倉村への道中、一乗谷・金福寺に立ち寄る。この閑雅な寺は作家・舟橋聖一の「花の生涯」のヒロインで井伊大老の私設諜報員として京都市中の情報を収集した村山可寿江(たか)ゆかりの寺である。大老の暗殺後、可寿江は長州・土佐藩士等によって京三条河原で晒者にされたがのち助けられてこの金福寺に入山したという。小関索垣師のご説明を拝聴。ひょうひょうとしたお話振りに引き込まれるひととき。寺の後丘に建つ芭蕉庵は与謝蕪村の再興。蕪村が芭蕉をこの上なく崇拝していた縁によるものという。ご両翁の塚と句碑、寺内では可寿江の遺品等を見学して寺を後にする。▼同じく岩倉村への道中今回のテーマとは関係ないが大原の里、三千院にも立ち寄る。杉木立の中に建つ往生極楽院に於いて宇田泰観師の法話を拝聴。「天国」とはキリスト教の専売特許。我々はそこを「極、楽なところ」と表現します、等々印象に残るウイットに富んだ数々のお話にふふふ……。▼今回のメインテーマ、いよいよ岩倉具視の幽棲宅に急ぐ。かつて五百円札のお顔とはなっているが歴史的にはその大業とはウラハラに地味な存在。具視は「和宮降嫁」を強く推進した人物として尊攘急進派の一部から誅すべきは岩倉とターゲットとなり迫害を逃れる為にここ岩倉村に五年もの長きにわたって幽棲した。その旧宅を見学。もっと荒れた廃屋かと思っていたが思いのほか茅葺きの簡素だがまあ立派な居宅だった。往路のバスの車中にて担当者の大谷氏から「失脚、不死鳥のように蘇った岩倉具視」の説明を受けているのでこの旧宅で復帰への機会を待ち忍耐の日々を送っていた姿を想像する。敷地内に「対岳文庫」が併設されており維新当時の資料、具視の遺品、赤坂喰違坂で暴漢に襲撃された際に着衣していた衣類等を拝観した。時は流れとうとう岩倉具視を必要とする時期が来た。時節到来、謹慎を解かれ、京に復帰した具視は以後、討幕への道をまっしぐらに進む。
*次回6月22日(「井伊谷を訪ねて」担当後藤研修部長、早川研修部員、川口とよ子氏。
     〈レポート 高橋浩子〉
【連絡先】480・1131
愛知県愛知郡長久手町大字長湫段ノ上47の48 大谷浩士気付
├FAX0561・63・4557


関西

★大阪歴史懇談会
*4月20日(日)クレオ大阪西にて第260回例会を行う。講師は日本海事史学会理事の上田雄氏。演題は「遣唐使の船と航海─遣唐使の定説に挑む」まず歴史の教科書や事典には完全はない。遣唐使の派遣回数について、朝日新聞4月18日(土)夕刊の子供むけ記事には《遣唐使は10回以上あわせて6千人ぐらいが日本を出発したけれど、無事に帰ってこられたのはその半分ぐらい》とある。東野治之氏は20回。本宮泰彦氏は19回、森克己氏は18回と学者間でもバラバラの数え方をする。司馬遼太郎の『空海の風景』では、渡航は迷信のように真夏をえらび、しばしば遭難した。秋になれば、風は日本から唐土に吹き、この航路にとって順風となる─と記載されており、この描写は完全に間違いであり、小学生の理科で習う気候と風の基本理論は、秋冬は大陸に高気圧が発達し、その高気圧(陸)から大洋(海)へ向かって風が吹く。多治比広成と平群広成を混同して、厳然とした史実が存在するのに司馬氏の影響力が大きいだけに遺憾な事である、と言わざるを得ない。中国側の学者である王勇氏は中国の文献を調べますと今私達が調べている時点(平成19年5月)で、25回ぐらいあります。回数については、もっと国際的に、韓国を含めた東アジアの遣唐使の史料を含めて見直す必要があります(遣唐使シンポジウム)遣唐使の船と航海についての見直しが必要であり、我々先祖の勇気ある挑戦、偉業を高く評価すべきであると結ばれた。上田氏は『歴史懇談』22号に留学生井真成の死をめぐって、問題として取り上げたいのは、彼の墓誌に書かれている唐の開元二十二年(734)正月という時点である。これが通常の年であれば、どうという事はないのであるが、この前年の開元二十一年(733)秋には日本から第9回遣唐使(大使は多治比広成)が蘇州に着いており、使節団590人が唐に滞在中、恐らく揚州で半年近く待機させられた後、洛陽にて一行は玄宗皇帝と正式に会見した。その間に長安にて病死した井真成との接点は無かったと見るのが自然である。▼古代史講座第153回は松本正彦氏の「稲作と支配体制」芦屋市六甲山系の一支脈に存在する高地性遺跡「会下山遺跡」について話された。弥生時代の倭国大乱時、畿内各地に高地性集落が作られた。吹田市の垂水遺跡・寝屋川市の太秦遺跡等の図面を示されての説明。
*7月20日(日)大阪市立弁天町市民学習センターにて吉井功兒氏の「16C・和泉の国の政治勢力」─細川・三好・十河・松浦各家・根来寺─等の講演。13時より第一研修室にて。
     〈レポート 安居隆行〉
【連絡先】〒599・8123◎会報紹介(事務局到着順/平成20年2月〜3月)




★『会報』第284号(大阪歴史懇談会)
*内容=「大東亜戦争 語り継ぐ(十四)」榧野敏男/「三月例会(第259回)演題〈古武士 板倉勝静〉─備中松山藩の幕末─」講師 兵庫歴史研究会副会長 阪本信子さん/「古文書講座第110回・演題〈樹木・なり物につき定の事〉」講師 本会顧問石川道子さん/ほか
★『歴研ひろば』第187号(兵庫歴史研究会)
*内容=「鵯越の逆落し 須磨一の谷説に物申す─その二十二」梅村伸雄/「石井流歴史奇考〈船の名前について〉」石井正元/「平成二十年度定期総会報告」/ほか
★『兵庫歴研』第24号(兵庫歴史研究会)
*「神戸にあった古代の難波 その七」梅村伸雄/「領内不景気・諸色高根」北村六合光/「壇浦愁望寄」阪本信子/ほか
★『歴研神奈川』第240号(神奈川歴史研究会)
*内容=「神奈川歴研四月例会レポート」浅見実/「鎌倉二題」井上誠一/「会員の作品発表のご紹介」/ほか
★『あいち歴研会誌』第103号(愛知歴史研究会)
*内容=「消えた地名(千種区編)その3 道路上のみに残存する中道町」山口均/「息子に語る・よもやまばなしN 昭和六十四年七月七日(土曜日)」なかむらこういち/「桶狭間古戦場」永田金一/ほか
★『歴研会誌 十周年記念特別号』(しんあいち歴史研究会)
*内容=「巻頭言 歴史と向き合う」しんあいち歴史研究会会長前川浩一/「祝辞〈しんあいち歴史研究会〉創立十周年 全国歴史研究会代表吉成勇/「第一部 〈しんあいち歴研〉との出会い 歴史研究会と私の出会い」秋田卯子/「第二部作品集 中仙道・奈良井宿 故郷を離れた老人に出逢う」大谷浩士/「第二部作品集 思い出の細川ガラシャ夫人」高橋浩子/「第三部 しんあいち歴研十年のあゆみ 研修部・学習部 十年間の行事内容」研修部長 後藤正・学習部長 近藤忠保/ほか