全国ネットワーク歴研だより
(地域歴研・テーマ歴研、連携団体レポート)
全国ネットワーク歴研だより(地域歴研・テーマ歴研、連携団体レポート)
◎関東・甲信越
★史訪会
*活動テーマに沿って、毎月首都圏を中心に、各地の史蹟探訪を行っています。
*12月1日(火)神奈川県〈一日 マイクロバス〉「霜月、鎌倉北西部、大船&横浜栄区の中世の史蹟から現代の探訪」《探訪予定地域の主な史蹟等》【鎌倉市(大船・岡本・玉縄・城廻・植木)】松竹大船撮影所跡・鎌倉芸術館・常楽寺・黙仙寺・大船観音寺・玉縄首塚・塩釜神社・県立フラワーセンター大船植物園・龍寶寺・新井白石墓碑・旧石井家住宅・諏訪神社・七曲坂・玉縄城跡・清泉女学院・相模陣稲荷神社・貞宗寺・円光寺・久成寺、等【横浜市栄区(金井町・田谷町・長尾台町)】玉泉寺・山岳信仰碑・田谷御霊社・十三塚・定泉寺・田谷の洞窟・常勝寺・旧跡九ッ井・長尾砦(城)跡・長尾台御霊神社・鷹匠橋、等
*12月19日(土)東京都〈一日徒歩&室内活動〉「師走、年末恒例・特別イベント 第11回 去来今の集い in ShinJuku」【一部(午前)】史蹟探訪(探訪地域)「百人町〜北新宿〜西新宿」《探訪予定地域の主な史蹟等》皆中稲荷神社→内村鑑三終焉の地→蜀江坂→末広橋(神田川)→「神田川」歌碑→桃園川跡→柏橋→新開橋→JASSО東京日本語教育センター→円照寺→鎧神社・天神社→淀橋中央卸売市場→俳句文学館→新宿サンパークホテル(昼食&庭園観賞)→区立つつじの里児童遊園→グローブ座、等【二部(午後)】講演会&活動報告(会場)「ティーズクローバー新宿(代々木)」@竹村紘一先生(全国歴史研究会本部運営委員・史訪会顧問)・「(仮題)新田一族の興亡」A植松三十里先生(歴史時代作家・平成二十一年度新田次郎賞受賞作「群青」著者)「(仮題)龍馬が愛した女たち」【三部(夜)】懇親会(会食&イベント)[会場]「割烹梅屋(西新宿・成子天神社脇)」@瞽女唄 横川恵子氏(南魚沼市)門付け唄「岩室」・祭文松坂「八尾屋お七・忍びの段」発ち唄「伊勢音頭くずし」、他A江戸芸かっぽれ 櫻川ぴん助一門・梅寿峰会(代表櫻川寿寿慶氏)「かっぽれ伴内」・「深川」・「奴さん」他
◎歴史研究会会員の皆様、お誘い合せの上、お気軽にご参加下さい。
〈レポート 江森新三活動推進部長〉
【連絡先】〒277・0871千葉県柏市若柴168の68
茂木祐一(事務局長)方
пEFAX04・7134・1360
E-mail info@shiho-kai.net
*史訪会ウェブサイト(ブログ)
http://shiho-kai.cocolog-nifty.com/blog/
★常総歴史研究会
*10月17日(土)柏市教育福祉会館で定例会開催。「傳・佐倉惣五郎」のテーマで池田勝宣会員(八街市)が発表しました。出席者は25名。まず初めに印旛沼を含めた印旛村周辺の地図で宗吾(佐倉惣五郎)に関わるいくつかの史跡を説明された。惣五郎の実在性については虚像と実像を見極めることは大変難しく、故八巻実先生(常総歴研顧問)は「惣五郎義民伝承は真相を裏付ける資料が皆無にひとしい」と指摘している。しかし承応二年(1653)8月惣五郎父子が刑死された史実が残っているが何の罪で処刑されたのかは不明である。嘉永四年(1851)百姓一揆をテーマにして作られた歌舞伎の『東山桜荘子』の主人公の朝倉当吾こと佐倉惣五郎がその人である。傳義民惣五郎に関わる『地蔵堂通夜物語』や安房国の『萬石騒動』、上野国沼田の『磔茂左衛門伝承』、出羽国屋代郷の『高梨利右衛門傳』などを解説され、最後に堀田藩には年貢軽減の訴えの記録はほとんどなく、重税を課したこともない、また地元には農民運動もなかったと発表を結ばれた。配布された資料は懇切丁寧に製本され、数多な写真が掲載され視覚での楽しさを味わいました。
*10月に会報『歴研常総』第38号(B5判、41頁)を発行、10月定例会で配布。会報の寄稿は次の通りです。表紙「鹿島神宮の解説」立川誠一、特集「激動の昭和」を生きる。「私の太平洋戦争」大杉豊/「シベリア抑留考」池田勝宣/「国民学校」中村義保/「私の戦争体験を振りかえって」野村原之助/「戦後の記憶」立川誠一。史論「古今東西」「分割国名からみた古代東国の特異性」中島孝二/「萬葉時代の常総」土田和美/「平忠常の乱」中村義保/「毛越寺―霊場の荘厳は吾朝無双」佐藤敬一/「私見 鎌倉幕府滅亡への序曲」三好榮水/「江戸のオランダ宿長崎屋」野村原之助/「南洋の島ハワイの歴史を訪ねて」勝田威/「奥会津と新潟の旅」室伏弘七
*11月22日(日)マイクロバスによる「渡来人のふるさとを訪ねて」を案内者室伏弘七会員(牛久市)のもとで行います。
*12月13日(日)柏市教育福祉会館で15時30分から特別講演を開催。講師=新選組流山隊隊長(代表)松下英治先生。演題=「新選組流山顛末記」
〈レポート三好賢司〉
【連絡先】〒277・0066
千葉県柏市中新宿1の23の10
立川誠一(世話人代表)方
рO4・7175・8131
★中国の歴史と文化を学ぶ会
*10月4日(日)の午後、大田区産業プラザにおいて月例会を開催し、見学者をふくめて59名の会員が出席した。当日の例会は斉藤常任理事の司会で進行し、三堀会長の挨拶と新会員の紹介のあと、会員発表と講演がおこなわれた。▽はじめは袖山章氏の会員発表がおこなわれ、演題は「雲南の少数民族」であった。袖山氏は中国全土を精力的に歩かれ少数民族問題に非常に詳しい。当日は自治地域、自治州、地理的・民族的特徴、言語、ペー族の生成過程、改定憲法などを中心にして蘊蓄を傾けた話しは興味深い発表となった。▽つづいて専門講師の講演会に移った。当日は三年ぶりに桜美林大学教授の南雲智先生をお招きして演題「中国の戯れ歌パートU」について講演していただいた。先生は先ず改革開放以後の中国の歴史について説明した。そして現代中国が大国の狭間で、特に原論の統制が厳しい環境のなかで庶民の憤激や哀歌を「戯れ歌」をつうじて舌鋒するどく語った。「戯れ歌」で印象に残ったいくつかに次ぎのようなものがあった。「毛沢東の幹部は 清廉潔白で、華国鋒の幹部は 跡形もなく、ケ小平の幹部は 億万長者」また「財産隠して知らんぷり、警察とやくざは一家の如し、役人同士はかばい合い」、「一千億元食いつくし、一千億元浪費して、この二つの一千億元で、十二億人は被害者です」などがあった。南雲先生の一時間半にわたる巧妙な語り口の公園をつうじて中国民衆の 恨み節 が、出席者の共感を呼び、鳴りやまぬ拍手で講演を締めくくった。
▽例会のあとは中華料理店に場所をうつして、南雲先生を囲んでの懇親会を開いた。会員など36名が参加し、中華料理と紹興酒で宴は盛り上がり、秋の宵を楽しんだ。
○中文会は、有益で楽しい会です。年会費4000円、例会参加費1000円、例会では会員発表や専門家の講演があります。年一回の会報と年三回のニュースの発行もあります。皆様のご参加をお待ちしています。〈レポート 比留間長一〉
【連絡先】〒359・1111埼玉県所沢市緑町3の2の2
佐山正典(事務局長)方
рO4・2939・5416
★横浜歴史研究会
*10月1日(木)会場の都合もあり平日開催。当日の発表者は左記の三名の方、出席者71名。▽発表者会員竹村清繁氏、題は「白村江 古代東アジア大戦の謎」。天智二年(663)8月13日新羅は百済王豊璋が神武鬼室福信を斬殺した報に接し、百済の周留城を包囲。他方唐軍は兵船170艘を率いて白村江に布陣。8月28日倭の水軍は、唐の水軍に左右より挟み込まれるにして戦い、短時間のうちに破られ、退却しようにも艫舳を旋回することもできなかった。白村江の河口で遭遇して四度戦い四度とも唐将劉仁軌率いる唐水軍は勝ち、倭国水軍は兵船400艘を失った。世にいう「白村江の戦い」である。この戦いに至るまでの、唐・百済・高句麗・新羅そして倭国の情勢を分析し、倭国が白村江で敗れたのは、唐の物量に屈したのではなく、明確な戦略目標を喪失しながらも、全軍の意志を十分に統一しないまま、戦闘を敢行したからに他ならなかった、と結ばれた。▽発表者会員藤田健三氏、題は「桓武天皇 造作・軍事・怨霊鎮魂の生涯」。第50代桓武天皇は天平九年白壁王(後の光仁天皇)を父とし高野新笠を母として生まれた。名前は山部王。@山背国で生まれ育ったため都での疫病の流行から免れ、A称徳女帝崩御により白壁王が光仁天皇として即位し、Bその後井上皇后・他戸皇太子が廃されるという、幸運のなか山部親王は立太子し、天応元年桓武天皇として即位した(45歳)。即位後は厳しい試練と戦いながら頑強な肉体と精神力とで乗り切った。氷上川継の謀反事件、長岡京遷都の失敗と早良皇太子の怨霊、平安京への遷都、4次にわたる蝦夷遠征軍派遣と事件の続くなか、大同元年その70年の生涯を閉じた。そして桓武治政のキーワードは造作・軍事・怨霊鎮魂であり、それを支えたキーパーソンは藤原式家(百川・種継)、渡来系氏族(百済王氏・秦氏)、和気清麻呂、坂上田村麻呂であったと結ばれた。▽発表者常任理事高橋昭男氏、題は「江戸に暮らす男女の機微」。八代将軍吉宗の時、江戸の人口は町人53万人、武士・寺社方で50万人と当時世界一の百万人都市に成長していた。その成長の源泉は参勤交代制度である。諸国の武士が江戸で暮らすことにより、食糧などの物資の需要が高まり、それを供給する商人や農民、あるいは職人が必要となり、そういう人たちの消費を支える人たちがまた必要となる。こうして人口は爆発的に増えた。しかしながら人口増加は社会増のため女性は非常に少なかった。男達のなかには一生結婚出来ずに終わった者も少なくなかったようだ。「かかあ天下」に頭が上がらない江戸の男達、その本当の理由は、女性の少なさにあったのではなかったのか。そんな歪な都市江戸における男女の機微を、身分制度、町人居住区、江戸の男女関係、女性の仕事と活躍の場、結婚と離婚と云った、いろいろな角度から検証された。〈レポート 齋藤宗久〉
【連絡先】〒223・0056神奈川県横浜市港北区新吉田町3255 八城東郷(会長)方
рO45・591・6941
★神奈川歴史研究会
*10月18日(日)秋の鎌倉歴史散策を行った。参加者26名。盛会であった。昨日の雨がうそのように晴れ、絶好のハイキング日和。空気は澄みきっていた。でも、この季節にしては少し暑すぎた。コートはじゃまだった。本日の引率者は、鎌倉についてのウオーキングディクショナリーである井上会長。サブガイドとして山内玄人理事、持田信廣氏、横山忠弘理事等の飛び入り解説もあり、これもまた有益な、視点を別の角度から捉えた解説があり、充分に鎌倉通になれた気がする。新しい発見もいくつかあった。▽鎌倉は東京都心から近く、手軽に休日をエンジョイできるところであり、若者にも人気も高い。皆、鶴岡神社の壮大さ、華厳さに驚嘆している。建長寺、円覚寺、明月院等の寺々に綺麗に植え込まれた庭園や花々に、又、伝統的な宗教に感動をしている。言わば、観光地の持つ環境に身を投じて、その雰囲気に酔いしれているようだ。現実から離れたところに安らぎを見出しているのかもしれない。それも鎌倉を代表する場所ばかりで、グルメも楽しみながら。▽でも、我々自称一端の歴史を愛好者としては、大勢の観光客が訪れるところには満足しない。井上会長は、いつも訪れるスポットについて考え抜いている。マニュアックな、それでいて歴史を語る重要なところばかりである。でもそのようなところは、一般の人には関心がないみたいである。他に訪れる人も皆無。いくつかの幕府旧跡、荘厳な大寺院「永福寺」等はいずれも目に見える遺跡では殆ど存在しない。資料で存在するだけである。案内標識でその在り処を知るだけである。矛盾しているようであるが、鎌倉は今後、考古学の力を借りないと、解明できないであろう。この地に残された記録も少ない。悪いことに中心遺跡の大部分については、上に住宅が立ち並んでいる。いずれも狭い路地にあり、ひっきりなしに通る自動車、自転車、歩行者に絶えず気を遣わないと、見学をしていても、感慨に浸れない。とても遺跡に、石碑に集中できたものではない。当時の面影を頭のなかにに再現するにはうるさ過ぎる。いずれ行き難くくなるだろう。住民としても生活を守らなければならない。どうして、重要史跡の上にこのような乱開発を許したのだろうか。▽でも、今回は楽しかった。覚園寺のガイドによる詳しい説明もあった。今は実在しない壮大だった寺々についても詳しく聞けた。高い丘の上から市街を一望できた。護良親王の墓とされる168段ある石段にも駆け上がれた。狭すぎる路地裏にも行けた。ずいぶん歩いた。8キロくらいだそうである。つらくて、ばて気味だった人も何人かいたようだ。▽全行程を走破し終えたのが5時少し前。「わたみ」での二次会会場にも参加者24名。盛大だった。店内は混雑をしており、周りの客もトーンをあげてざわざわ話しており、騒々しく聞こえないので、我々もそれ以上に大声をあげて力いっぱい、ビールを片手に歴史を語り合った。時間はあっという間に過ぎていった。▽今回は、特別に、常総歴研の立川誠一会長及び中国の歴史を文化を学ぶ会会長の三堀八郎会長のご参加もいただき、情報を交換し、いろいろと教えられた。〈レポート 浅見 実〉
【連絡先】〒248・0002神奈川県鎌倉市二階堂267の170 井上誠一(会長)方
рO467・22・2908
★九州の歴史と文化を楽しむ会
*11月7日(土)・8日(日)に二十回記念行事として「鹿島神宮と鹿島踊りを知る」ツアーを実施。25名が参加した。7日は鹿島神宮近くの会場で記念講演会を実施。新発田弘武先生(えみし学会会長)が「古代の鹿島神宮」、日向香さんが「鹿島踊りについて」の講演を行なった。鹿島神宮拝殿に移動して正式参拝後、ヒルリさんが拝殿にて奉舞。続いて萩原禰宜による境内案内と「古代語から解明する歴史」についてのお話をいただいた。8日は鎌足神社見学後、貸切バスにて坂戸神社、沼尾神社、大生神社、香取神宮、側高神社、大戸神社、鳥栖神社、香取神宮、側高神社見学後、鹿島神宮で解散。
○入会金・年会費無料。皆様の御参加をおまちしております。〈レポート 菊池秀夫〉
【連絡先】〒231・0055神奈川県横浜市中区末吉町1の21の601 菊池秀夫(会長)方
рO90・9238・5591
E-mail kiku@Tokyo-ad.net
◎東海・北陸
★しんあいち歴史研究会
*9月27日(日)、新涼の候とは言え、この2〜3日は夏が忘れ物を取りに戻って来た様な「やや暑」の日が続く中、県下名古屋市守山区、お隣の岐阜県は可児市、多治見市を訪れ、焼き物(陶器)の歴史を学ぶ研修会が行われました。題して「加藤唐九郎の志野を訪ねて」企画・担当は孤軍奮闘、大島寛氏。参加氏32名。さて、何を隠しましょう、もともと大島氏は瀬戸市に窯(白萩焼)を持つ、れっきとしたプロの陶芸家。氏の言葉は優しい。「思いを形に、形を焼き物に、表情を形に、仏を焼き物に」と。愛らしいお地蔵さんや小動物を作陶される。「特に笑顔を焼かせたら氏の右に出るものはない」と諸先輩の陶芸家から、お墨付きをもらう程と聞いている。さてもさても今回の研修は大島氏ならではの企画と言えましよう。この日のネライは愛知県瀬戸市に生まれ、陶芸界の中心的存在であった加藤唐九郎(1898〜1985)記念館、可児市に於いては、とことん薪での焼成にこだわり「志野」「黄瀬戸」を作陶される安藤日出武氏の陶房・半地上式のあな窯、多治見市では、林英仁氏の桃山窯を見学し、貴重なお話を拝聴しながら茶の湯と茶碗の世界にどっぷりと浸ろうとするもの。そもそも我国に於けるルネッサンスと言うべき安土、桃山期の茶道の興隆により、飛躍的な発展をとげた、古美濃焼き。その中でも「志野」「織部」「黄瀬戸」が名陶であることは言うまでもありません。▽何はともあれ先ずは加藤唐九郎記念館に研修の第一歩をしるす。記念館では唐九郎のご三男・加藤重高氏(82歳)にご案内をいただきました。戦国武将、茶陶芸術家でもある古田織部の生涯と織部焼きのビデオ鑑賞。館内の陳列ケースには桃山期の発掘陶片がびっしり並ぶ。特に織部の文様がペルシャ風、どことなく愛らしい……。唐九郎は美の頂点を極めた桃山期の作陶の技法を探求し、ついに昭和五年本格的な復元に成功した。その志野茶碗(銘・氷柱)に注目する。筆者のような素人目にも器形に迫力ある動きが伝わってくる。茶碗、鉦鉢、花入れ、水差し、絵柄壷等を鑑賞し、風雅なひとときを味わう。▽可児市の前出、安藤日出武氏の陶房では……。我々の一団の到着を待ちかねておられたご様子で、やさしい美濃弁で出迎えて頂きました。古式ゆかしいあな窯の前に案内され過酷な薪(木曽福島産の赤松)のみで焼成に挑むお話をユーモアを交えながら話され、我々もつい笑いに誘い込まれる。一回の焼成に6昼夜を費やすと言われ、不眠不休の大変な作業である。冗談にネコナシ(寝こ無し)窯と言いましての」。終始にこやかなお顔と美濃弁でのお話は失敗談もあり、しかし何と言っても桃山期と同様な作陶にかける、すざましい氏の情熱に心が引き締まる思い……。豪快にして繊細な作品が並ぶ客室にてお抹茶のご接待を受けました。茶の緑は心をゆったりとさせてくれる。リラックスタイム。▽多治見では、茶道を楽しみ、工夫した茶道具を紹介する桃山茶寮へ。(桃山窯の前出、林英仁氏宅)手入れの行き届いた、ゆかしいお庭の奥座敷に案内され、やはりお抹茶を頂きながら、氏の茶への思い入れの確かさが伝わるお話を拝聴。昭和16年生まれのタンディな紳士。氏の作品が床の間にズラリ。筆者はついつい織部に目が吸い寄せられる。今回は「焼き物」と言う知的刺激に充ちた研修であり、先の安藤・林両氏とも同様に言われる事は「茶碗は観て飾るものでなく、生活の中に取り入れ使ってこそのものです。生かして下さい」と力説された言葉がとても、とても印象に残っています。〈レポート 高橋浩子〉
*12月13日(日)懇親会。名古屋港クルージング。担当、近藤事務局長。
【連絡先】〒470・2101 愛知県知多郡東浦町森岡下今池1の24 近藤忠保 気付
しんあいち歴史研究会事務局
ЁAX0562・84・8662
*しんあいち歴史研究会のホームページアドレスは
www.geocities.jp/shi_aichirekiken.htm
お問い合せは
michiharu44@yahoo.co.jp
(担当・守屋道治)
◎関西
★大阪歴史懇談会
*10月10日(土)奈良県田原本町方面見学会実施。講師は尾原隆男本会会員。正午、近鉄田原本駅に集合。田原本の領主となった賤ヶ岳七本槍の平野権平長泰5千石の陣屋跡。平野家は11代明治五年には1万石余となり諸侯に列す。近辺には旧士族の家々が残る。古代国家の黎明の中心を彩った唐古遺跡は、吉野ヶ里や登呂と並ぶ千人以上もの人が生活を営んだ。唐古・鍵考古学ミュージアム見学。町内の各遺跡から出土した土器や石器約950点を展示。『古事記』『日本書紀』には、孝霊天皇の都・黒田廬戸宮の記述があり、それが田原本黒田・宮古の地と考えられる。鏡作神社参拝、式内社で、天照国日子火明命・石凝姥命・天児屋根を祭神とする。この地は古代鏡作業団がいたとされる鏡作郷(『倭名抄』)に比定され、神宝として三神二獣鏡が所蔵されている。
*10月18日(日)弁天町市民学習センターにて第278回例会を行う。講師は本会会員の片倉穰氏。「幕末における被差別民の敵討ち(覚え書き)」仙台藩白石城下の被差別民岩五郎の敵討ち、白石城下本郷に住む「乞食小屋主」の岩次郎は嘉永七年(1854)2月9日、息子の岩五郎を伴って大黒舞の演舞後、二人の人物と争論になり殺害される。息子岩五郎は二人を取り押さえ肝入に届け流罪に判決された。島抜けをした二人を捕え郡肝入方に届けた。この際、岩五郎は、親の敵と名乗りを上げ、相手もこれに応じ、敵討ちであることを発声。伊達藩は岩五郎への褒美として「永世長目七貫文」を支給。領主の片倉家からも二人扶持ちと3貫文を終世支給される事になった。※長州藩被差別民登波の敵討ち、実父、弟を殺した枯木龍之進に文政四年(1821)10月29日殺され、天保十二年(1841)3月やっと九州彦山の目明しから龍之進を逮捕したと書状が届く。この時すでに龍之進は自殺したあとであった。長州藩は法の定めにより死者を斬首・さらし首にした。登波は比類なき孝義の者として終生一人扶持を下賜、門戸に表彰され、明治四年(1871)死去。その後、下関市豊北町滝部八幡宮の寺境内に「烈婦登和碑(大正六年除幕)」油谷町浄泉寺境内に「烈婦登波之碑(昭和六年建立)」。日本には敵味方を弔慰する心情があり、この心情は、仏教思想と結合して、各地に供養塔や供養塚が建てられている。死者を処刑した歴史上の諸事例や死後の世界にまで差別を持ち込んだ諸事例を講演された。〈レポート 安居隆行〉
【連絡先】〒599・8123大阪府堺市東区北野田561の28 松坂定徳(会長)方
рO72・235・4185
◎今後の予定等はホームページ大阪歴史懇談会で漢字検索して下さい。
http://homepage2.nifty.com/rekikon/index.html(担当・小池栄之輔)
◎会報紹介(事務局到着順/平成21年10月〜平成21年11月)
★『歴研神奈川』第257号(神奈川歴史研究会)
*内容=「平成21年秋の鎌倉散歩─鎌倉時代の寺の廃寺の跡と古刹を訪ねる」井上誠一/ほか
★『歴研みやぎ』第80号(宮城県歴史研究会)
*内容=「悲恋の皆鶴姫と観音寺」吉田雅博/「政宗以前の仙台領領主国分氏について」/吉田勝郎/ほか
★『城』第202号(東海古城研究会)
*内容=「桶狭間合戦と信長公記」高橋敬二/「武将・大名庭園6 会津松平氏庭園(御薬園)」松山茂雄/ほか
★『におどり』第88号(流山市立博物館友の会)
*内容=「漱石が歩いた野田二里の道」新保國弘/「終戦 あの日あなたは」間藤邦彦/「野田歴史散歩」石垣幸子/ほか
★『東京産業考古学会』第79号(東京産業考古学会)
*内容=「研究会・見学会のお知らせ」/「研究会〈産業考古学1・2〉の概要」/「見学会記録」多田統一/ほか
★『歴研常総』第38号(常総歴史研究会)
*内容=「激動の昭和を生きる〈私の太平洋戦争〉」大杉豊/「史論(古今東西)分割国名からみた古代東国の特異性」中島孝二/ほか
★『会津史談通信』第62号(会津史談会)
*内容=「ごあいさつ」会長 鈴木邦意/「各部の報告とお知らせ」/「ここまで分かった古代・中世。戦国の会津9」石田明夫/ほか
★『長野』第265号(長野郷土史研究会)
*内容=「特集 善光寺と松代 講演〈善光寺と松代 御開帳でつながる門前町と城下町」小林一郎/「善光寺仁王門建設について」北村市朗/「私たちの会のあゆみ」/ほか
★『江南郷土史研究会』第368号(江南郷土史研究会)
*内容=「木下藤吉郎を天下人にした仕掛人 前野将右衛門・蜂須賀小六の実録(二十一)」松原清史/「会報通信」/ほか
★『江南郷土史研究会』第369号(江南郷土史研究会)
*内容=「美濃にゆかりの坂本龍馬」清水勝一/「会報通信」/ほか
★『城郭だより』第67号(日本城郭史学会)
*内容=「江戸城から移築の門─紅葉山か吹上から移築─」/
「知られざる遺構の報告 岩槻城の移築現存の二門」/ほか
★『龍馬研究』第176号(龍馬研究会)
*内容=「龍馬を取り巻く人々その2」岩ア義郎/「龍馬と船1」渋谷雅之/「龍馬の歌2」永國淳哉/ほか
★『民俗文化』第552号(滋賀民俗学会)
*内容=「海の猿田彦大神─巨根の海神と金精さまと─」北野晃/「観音寺騒動顛末考(前)」中村武三/ほか
★『民俗文化』第553号(滋賀民俗学会)
*内容=「信仰よりも経済を優先する社会現象について─葬式が葬祭業者任せになった現状─」菅沼晃次郎/ほか
★『城だより』第489号(日本古城友の会)
*内容=「播磨 感状山城を探訪します(10月・第552回例会のご案内)」/「新聞記事」/ほか
★『城だより』第490号(日本古城友の会)
*内容=「志摩 鳥羽城などを探訪します(11月・第553回例会のご案内」/「新聞記事」/ほか
★『城だより』第491号(日本古城友の会)
*内容=「近江 長比城、中山道・柏原宿などを探訪します(12月・第554回例会のご案内」/「新聞記事」/ほか