全国ネットワーク歴研だより
(地域歴研・テーマ歴研、連携団体レポート)
全国ネットワーク歴研だより
(地域歴研・テーマ歴研、連携団体レポート)
◎東北
★宮城県歴史研究会
*去る4月10日、平成22年度宮城県歴史研究会総会が開催された。今回は通常の昨年度事業決算、今年度実施事業案・予算案等の承認の他、一身上の都合で退任されることになった櫻井一郎会長・島貫裕副会長の後任として、新会長に渡邊洋一会員が、副会長に齋藤精也会員が選出された。総会終了後の記念講演会では、仙台市史編纂室長の菅野正道氏の『再検討・伊達正宗』と題する講演が行われ、興味深い講演の内容に24名の当日参加者は魅了された。〈レポート 大場淳子〉
【連絡先】〒982-0261 宮城県仙台市青葉区折立6-2-3 渡邊洋一(会長)方
◎関東・甲信越
★史訪会
*活動テーマに沿って、毎月首都圏を中心に、各地の史蹟探訪を行っています。
*7月3日(土)埼玉県〈一日 マイクロバス〉「卯月、太平記の世界C新田義貞鎌倉攻略の道・旧鎌倉街道上つ道その二」《活動予定地域の主な関連史蹟等(順不同)》【本庄市・深谷市・嵐山町・鳩山町・毛呂山町・日高市】旧本庄警察署・金鑚神社・本庄城跡・開善寺・生品神社・渋沢栄一生家&記念館・国重文誠之堂&清風亭・日本煉瓦プレートガーダー橋・国済寺・JR深谷駅煉瓦駅舎・深谷城跡・清心寺平忠度墓・岡部六弥太墓・高島秋帆幽囚之地碑・人見氏館跡・昌福寺上杉房憲供養塔・井椋神社・鶯の瀬公園・万福寺・畠山重忠公史跡公園・県農林公園・国史跡杉山城跡・鬼鎮神社・県立嵐山史跡の博物館・国史跡菅谷館跡・鎌倉街道遺構・大蔵館跡・太田資康詩歌会跡・鎌形八幡神社・班渓寺・笛吹峠・羽黒堂・嵐山渓谷・元杢網夫妻の墓・毛呂神社・赤沢古代瓦窯跡・苦林野古戦場碑・毛呂山町歴史民俗資料館・延慶の板碑・弘安&応長の板碑・国重文出雲伊波井神社本殿・霞野神社・女影ヶ原古戦場跡・大類氏館跡・毛呂山鎌倉街道遺構・女影氏館跡、等
*7月22日(木)東京都〈半日(午後) 室内活動〉「古代史懇話会 第四回 例会」【内容】講話+フリートーク【会場(予定)】中央区新富区民会館 東京メトロ日比谷線八丁堀駅 A3出口 徒歩5分【テーマ(仮題)】倭の五王【講師】井上誠一氏(神奈川歴史研究会会長)【時間(予定)】午後1時30分〜4時【参加費(一般)】700円
*7月25日(日)千葉県・茨城県〈一日 マイクロバス〉「大暑、太平記の世界D南朝ゆかり、常総の史蹟&奇祭・竜ケ崎八坂神社の撞舞」《活動予定地域の主な史蹟等(順不同)》【成田市・神崎町&河内町・稲敷市・竜ケ崎市】滑河観音龍正院・井上家高岡藩陣屋跡・小御門神社・伝藤原師賢墓所・迎接寺・神崎神社・西の城貝塚・神宮寺・東条浦・大杉神社・安穏寺彌勒堂・常陸坊海尊石塔・神宮寺・神宮寺城跡・北畠准后唱義之処碑・十三塚・側高神社・広畑貝塚・浮島・姫宮神社・景行天皇行在遺跡の碑・藤原教長卿配所跡・霞ヶ浦・和田岬・阿波崎城跡・横綱稲妻雷五郎生誕記念碑・満願寺・稲敷市立歴史民俗資料館・国重文横利根閘門・大利根東公園・江戸崎城跡・鹿島神社・瑞祥院・不動院・大念寺・大日苑(旧植竹庄兵衛邸)・高田神社・椎塚古墳・管天寺・顕広寺・信太郡家跡・栗山牧場・羽賀神社・ポティロンの森・国重文平井家住宅・阿弥陀寺・寝釈迦堂・東条城跡・智心院・小野逢善寺・小野神社妙行寺・女化稲荷神社・水戸街道若柴宿里程標・馴馬城跡・竜ケ崎市立歴史民俗資料館・安楽寺・平国香供養塔・来迎院・蛇沼公園・金龍寺・カガミクリスタル・豊作村湯ったり館・竜ケ崎城跡・竜ケ崎古城跡・竜泉寺・頼政神社・般若院・大統寺・仙台藩伊達家竜ケ崎陣屋跡・八坂神社・関東三奇祭の国無形文化財「撞舞」鑑賞、等
◎歴史研究会会員の皆様、お誘い合せの上、お気軽にご参加下さい。
〈レポート石黒紘一総務部長〉【連絡先】〒277-0871 千葉県柏市若柴168-68
茂木祐一(事務局長)方
пEFAX04-7134-1360
E-mail info@shiho-kai.net
*史訪会ウェブサイト(ブログ)
http://shiho-kai.cocolog-nifty.com/blog/
★文学と歴史の会
*4月22日(木)館林市立図書館視聴覚室にて平成22年度定期総会を開く。21年度事業報告、同決算報告及び監査報告。22年度事業計画案、同予算案に続き、役員補選では新幹事候補に奥田豊、運営委員に寺井春香を推挙し、原案通り承認された。総会終了後。講師=高橋豊。演題「浅草巷談 六区に咲いた人情の花」を行う。
*5月13日(木)講師に石村澄江さん(群馬ペンクラブ会員)を招き講演会を開く。演題「日本女医第1・2・3号と群馬の関わり」
〈レポート 高橋 豊〉
【連絡先】〒370-0707 群馬県邑楽郡明和町田島596
高橋 豊(代表幹事)方
0276-84-2381
★常総歴史研究会
*5月23日(日)大雨の天気予報の中、一人のキャンセルも無く、補助席まで満席のマイクロバスで久々に地元常総の地(千葉県・茨城県)へ「小江戸佐原と香取・鹿嶋を訪ねて」と題して室伏弘七世話人(牛久市)の案内で史跡めぐりを楽しみました。参加者23名。コースは柏駅西口8時出発、最初の目的地は「木下貝層」で、12〜13万年前に海面が下がったり陸地が上昇したりして現在の台地に残った貴重な貝層、次に坂東33観音札所の滑川観音(龍正寺)の国重文の仁王門や県文の銅造宝篋印塔、つづいて小江戸と呼ばれ江戸時代の街並みを残す佐原を訪ね、55歳から日本で初めて実測による全国地図を作った伊能忠敬の像・記念館・旧宅・伊能忠敬のお墓。午前中の予定を終え香取神宮の門前での昼食・神宮内の史跡を見聞し、つづいて下総最大の前方後円墳大塚山古墳から鹿島神宮・香取神宮と並んで東国三社の一つである息栖神社、つづいて太平洋戦争の末期に開発された有人ロケット爆弾「櫻花」の実機と掩体壕を残して、日本の平和を祈願する櫻花公園から鹿嶋市がNHK大河ドラマ化を期待する剣聖塚原卜伝の像。常陸国一ノ宮の鹿島神宮での史跡めぐりを経て塚原卜伝のお墓に詣でて帰路に就きました。途中で南北朝時代の南朝方の北畠親房が一時拠点とした「神宮寺城址」を車窓からみて、常磐道の事故渋滞もあって一時間遅れの柏駅となりました。天候のほうも最後の史跡を見終わるまでは小雨程度だったが、帰途は大雨になりました。配布された資料は千葉県・茨城県の歴史と伊能忠敬の偉績を詳細に記したものを主として構成された35頁の冊子はいつもながら案内者の熱意が伝わり、地元の常総への理解がより深まりました。
*6月20日(日)柏市教育福祉会館で15時30分から定例会を開催します。発表者=三好賢司世話人(柏市)テーマ=「不破内親王(松虫姫)の実像」
*7月18日(日)柏市教育福祉会館で15時30分から特別講演を開催。講師=地名情報資料室主宰 楠原佑介先生。演題=「常総国境地帯の古地形と古代郡郷名について」〈レポート三好賢司〉
【連絡先】〒277-0066 千葉県柏市中新宿1-23-10
立川誠一(世話人代表)方
04-7175-8131
★中国の歴史と文化を学ぶ会
*5月2日(日)ゴールデンウィーク中の午後、中文会は大田区民センターにおいて第182回例会を開催し55名の会員が出席した。当日は芳川会計理事が司会を担当して進行した。まず三堀会長が挨拶をおこない三人の新会員を紹介した後、会員の報告と発表が行われた。▽最初は「春季訪中旅行」の報告。今回の訪問先は山東省(青島・曲阜・泰安・ヴ獅フ各市)期間は4月17日(土)〜21日(水)の4泊5日で、参加者は21名であった。はじめに若松団長が総括報告をおこない、つづいて三名の団員から報告があった。@田原和夫氏は「成田〜青島〜曲阜について」、A堂森大平氏は「泰山について」、B青木實氏は「ヴ獅ゥら青州へ」について各地の印象を興味深く語った。▽次の発表は土田和美氏で、演題は「中国人と道教そして日本」であった。土田氏は先ず「道教」とは中国漢民族の伝統宗教であり、現代に至っても中国人の人生観や世界観の根幹をなし、東アジアの思想や文化・芸術のベースとなっていると指摘し、「道教の起源とその歴史」「道教の文化と民俗」について古典を通じて解説し、出席者の興味を引いた。▽最後の発表は中崎工氏であった。演題は「原始仏教から大乗仏教までの経典を探る」であった。中崎氏は「宗教は死から始まる。出家は死の先取りであり擬似的な死である。私たちの日常には非日常が重層し、生には死が重層し、生には死が重層している」として、仏教誕生の経緯と仏教の中の死と教典の歴史を解説し、難解な教典を分かりやすく解き明かして頂いた。
▽例会後は和食の店に場所を移して恒例の懇親会を開催した。当日は35名の会員が参加し、乾杯の後は酒杯と談笑がとびかいゴールデンウィークの宵を彩った。
*6月6日(日)晴天に恵まれた新緑鮮やかな午後、中文会は大田区民センターにおいて第183回月例会を開催した。当日は大勢の見学者をふくめ、会場一杯の総勢72名が出席し大盛会であった。▽当日は若松副会長が司会を担当し、三堀会長があいさつしたあと会員一名の発表と専門家による講演会をおこなった。▽会員発表は三浦光敏氏で、演題は「中国→朝鮮→日本の歴史の流れについて」であった。顧問の三浦氏は韓国の歴史ドラマの愛好者で、ドラマをつうじて中国や日本との歴史的関わりに関心をもたれている。当日も日本、中国、朝鮮半島の歴史と二千年前後におよぶ韓国ドラマの「時代、題名、要旨」を図表で作成され説明にあたった。そして、更に資料をもとに、@テレビドラマが訴えているもの、A戦争の後発生する流民の問題、B仏教、儒教、道教が国政に及ぼす影響、C世子認定と王族との争い、D芸術、E小道具、衣裳、F語学と表現などについて興味深く語った。▽講演会は、講師に二年振りに慶應義塾大学講師の平井徹先生をお呼びし、「中国の幽霊─その空想の世界」と題して講演していただいた。平井先生は講演要旨として「日本の幽霊話には怨霊や恐怖がつきものだが、怪異談を愛好した中国では、あの世はこの世に対置し鬼(霊魂)の世界にも情実や賄賂が通用した。また鬼には圧倒的に女性が多く……怨恨によって人に取りつくケースはほとんどない……」と中国幽霊の特徴を語った。そして平井先生はT「六朝以前の怪異への関心」U「中国人の〈あの世〉と幽霊─六朝〈志(誌)怪小説〉の流行」V「記録から小説へ─文学としての怪異談」について、『論語』『春秋左氏伝』『楚辞』『隋書』などから日本語の書き下ろし文で紹介し、幽霊話の日中の相違と特異性を語った。出席者は一時間半にわたる弁舌爽やかな平井先生の怪談話を聞きながら「ほーっ」とか「ええっ」とかの驚きの声を上げながら耳を傾けた。出席者は最後に平井先生の名講演にたいし万雷の拍手で応えた。▽例会後は、場所を移して懇親会を開き37名が参加して賑やかに交流を深め、初夏の宵を彩った。
▽中文会は、有益で楽しい会です。年会費4000円、例会参加費1000円、例会では会員発表や専門家の講演があります。年一回の会報や年三回のニュースの発行もあります。皆様のご参加をお待ちしています。〈レポート 比留間長一〉
【連絡先】〒359-1111 埼玉県所沢市緑町3-2-2
佐山正典(事務局長)方
04-2939-5416
★江戸の歴史研究会
*6月3日(木)会報『江戸』第107号発行。内容=平成22年度第3回研究会「岐阜市・郡上と西濃の史跡を訪ねる一泊の旅。講師・当会会員岐阜市在住杉原幸晴さん」レポート斎藤芳子/「本年度第4回研究会のお知らせ/会員投稿「亀姫の執念、本多正純を葬る」竹村紘一/ご寄贈会報など/会員転居のお知らせ/事務局だより/ほか
*7月24日(土)第4回研究会「坂本龍馬をめぐる女性たち」講師・会員竹村紘一さん。
*9月25日(土)第5回研究会「古文書の読み方(仮題)」講師・会員長山ゆき子さん。
▽研究会は何れも午後2時より、銀座並木ビル地階(中央区銀座3-2-1003-3561-5323)で開催します。会員外の方もお気軽にご参加下さい。〈レポート 高橋倭子〉
【連絡先】〒156-0043 東京都世田谷区松原3-36-10
高橋倭子(副会長)方
03-3321-8990
★横浜歴史研究会
*4月25日(日)本年第一回の歴史散歩宿場シリーズ≠貸し切り観光バスで実施。題して「小田原宿と箱根路歴史散歩」。コース:〈集合〉横浜駅―西湘バイパス―小田原インター―新田義貞首塚―なりわい交流館(車窓)―大久寺―居神神社―小田原宿(車窓)―小田原城見学・昼食―山崎合戦碑―早雲寺―甘酒茶屋―お玉が池(車窓)―箱根関所―恩賜公園―小田原厚木道路―横浜駅〈解散〉。参加者48名。天候不順が続くなかこの日ばかりは青天に恵まれ風光る爽やかな一日でした。企画=石関常任理事。
*5月8日(土)当日の発表者は左記の3名の方、出席者70名うちゲスト4名。▽発表者理事針靖人氏、題は「忠義の人 渡辺崋山」。渡辺崋山は三河の小藩、田原藩藩士の子として寛政五年江戸麹町で出生。画才に恵まれる一方、蘭学者としての崋山は、高野長英や小関三英等と親交をむすび、世界地理・風俗・歴史・砲術・兵学等の海外事情に関する著書・訳書を集めて研究した。こうした動きは外国船打払令にみられるように頑なに鎖国政策を堅持しようとする幕府の逆鱗に触れ、天保十年、幕政批判・無人島渡航計画の罪状で長英等とともに逮捕された。世に云う「蛮社の獄」である。崋山の波乱に富んだ生涯を解りやすく検証された。自刃することなく明治維新を迎えたらどんな役割を果たしたのだろうかと結ばれた。▽発表者会員和田敏子氏、題は「征西将軍宮 懐良親王と九州の新田氏」。懐良親王は後醍醐天皇の皇子として元徳期に生まれ、後村上天皇の弟にあたる。建武の新政が崩壊した後、後醍醐天皇は各地に自分の皇子を派遣して味方の勢力を築こうとした。幼少の懐良親王を征西大将軍に任じた。親王は五條頼元らに補佐され、「御手」と呼ばれた新田一族を親衛隊として、伊予忽那島(愛媛県松山市)へ渡り、当地の宇都宮貞泰や熊野水軍の援助を得て九州の情勢を窺う。その後興国期に薩摩に上陸し、谷山城を居城とする。九州を転戦して大保原合戦(筑後川の戦い)で勝利し大宰府を制圧する。親王の全盛期。親王をささえた人々のなかで特に九州新田氏に焦点を当て、諸説を交えながら、南朝への熱きおもいをこめられて検証された。▽発表者会員柳井達雄氏、題は「近代日本の岐路、第一次世界大戦」。「太平洋戦争への歴史的軌跡追う」「満州国建国と軍部の台頭」に続く現代史研究。ペリー来航によって、開国を強いられ不平等条約を押しつけられて、全く無防備のまま国際社会に投げ出された日本。不利な条件下、国内改革を行い海外知識と制度を取り入れて、少しずつ国際社会で地歩を築いた。日清、日露戦争に勝利し徐々に不平等条約を改善、第一次世界大戦で国際社会の主要な一員となった。幕末維新以来の日本の課題はほぼ解決されたが、同時に日米関係という新しく、より困難な問題に直面していく。欧州を主戦場とした第一次世界大戦は遠く離れた我が国の社会構造を大きく変貌させた。そのプロセスを丁寧に検証された。〈レポート 齋藤宗久〉
【連絡先】〒223-0056 神奈川県横浜市港北区新吉田町3255 八城東郷(会長)方
045-591-6941
★神奈川歴史研究会
*5月16日(日)藤沢市市役所新館で、第246回月例会を開催した。当日は風薫る五月の、少し風は強いが、暖かな好天気の日であった。参加者34名。盛会であった。▽最初の発表者は鷲澤博氏でテーマは「江戸時代に何故文芸が盛んになったかー芭蕉・蕪村を中心として」であった。北の大地、北海道札幌ご出身の鷲澤氏は性格は豪放磊落で声も大きく迫力があるし説得力も充分にある。そして評された。芭蕉はわび、さび、不易流行、かるみの俳風を有する。一方、蕪村は多彩な浪漫詩人であり画家でありまた総合芸術家であると。さらに言及された。江戸時代は、外来文化の影響は少なく、日本独自の文化が形成された。安定した社会のもとで、その特徴は当初は品格を重んじる雅から、有力な町人の実力が拡大していくにつれて、最後には人間臭い俗へと大きく変貌していった。或いは幕府による民衆統制の力が弱まってきたかもしれない。その結果として、恋愛、愛欲本能、心中、金銭等のテーマを扱うものが民衆にもてはやされたと言っていい。人間として尊厳されたのである。そして最後に結論付けられた。江戸時代は、現世肯定の日本におけるルネサンスではないかと。芸術・思想の革新、個性の重視、感性の開放等を引き起こした人間中心世界へもたらした近代文化への転換の端緒ではないか。ここで、日本の中世は終わるのである。諸説あろうが聞き手のご高説如何にと。▽次の発表者は、主と氏して古代史を専門とされており、また、徐福について精力的に研究されている前田豊氏で「日本の超古代史を語る『古史古伝』の真相」についての講演があった。このテーマについては、自分としては全く知識がなかったと言ってもよい。少なくとも中学、高校或いは予備校では『先代旧事本紀』については習わなかった。ここまで研究の対象を掘り下げている氏の意欲には感嘆した。日本列島に於ける人類の歴史はおそらく数十万年に遡るであろう。しかしながら、『後漢書』・『東夷伝』に約二千年前の倭の国について記述があるが、それ以前の我が国で起こった歴史上の事柄について文献での正確な科学的な裏づけのある記録は殆どない。また、『魏志倭人伝』で卑弥呼が統治していた地域は何処なのか未だに確定していない。西暦8世紀に編纂された『記紀』が日本の古代を記述する最初の書であるとされるが、もっと偽書とされる古史古伝を見つめ直してもよいのではないのかと。なかには資料的価値が含まれるものもあるとされる。最近の徐福研究の進展により偽書とされる『富士古文書』は、実は歴史上存在が確認される徐福の編纂によるものである、等々。古いテーマだが、氏は先端の分野を極められている。〈レポート 浅見 実〉
【連絡先】〒248-0002 神奈川県鎌倉市二階堂267-170 井上誠一(会長)方
0467-22-2908
◎東海・北陸
★静岡県歴史研究会
*4月25日(日)静岡市の「天峰」において、平成22年度定例総会を開催。篠原会長の挨拶で始まった。次に総会成立の確認が報告され、堀川幸美理事が議長に選出されて議事に入った。平成21年度の活動報告が篠原会長から、同会計報告が林会計担当理事から、会誌刊行事業報告・会計報告が太田相談役から、会計監査報告が寺尾監査担当理事よりなされ、活発な意見・質問が出る中、審議の結果各々承認された。次に、平成22年度の活動計画案、同予算案、会誌刊行計画案が説明され、各々承認されて議事は終了した。特に会誌『歴史論叢』第7号の発行について、超ご多忙の太田相談役に尽力いただき、年内の発行を目指す。更に次の第8号についても早めに発行できるように準備に取り掛かることを確認した。引き続き懇親会に入り、川勝相談役の乾杯の音頭で始まり、出席者全員が近況報告を行うなど、和気藹々のうちに終了した。会員数がやや減少しているので、皆で増員の努力をしようとの声もあった。今年度の活動計画は次の通り。歴史の好きな方のご入会、大歓迎です。先ずは一度見学してからでも結構です。
*5月23日(日)静岡市文化財資料館に於いて定例研究会。▽遠藤照夫氏「大黒沢・楠沢の金山衆の屋敷跡」▽望月古亶氏「纏向遺跡」(『日本書紀』)▽松葉屋幸則「羽林中将(冷泉隆茂)と中世の須津庄」
*6月26日(土)〜27日(日)
奈良方面へ一泊二日の史跡(纏向遺跡など)見学会
*9月5日(日)静岡市において定例研究会
*11月14日(日)静岡県内での日帰り史跡見学会
*12月5日(日)静岡市において定例研究会
*平成23年2月6日(日)三島市において定例研究会
*5月23日(日)静岡市の文化財資料館会議室において、第88回定例研究会が開催された。▽最初の発表は遠藤照夫氏の「日影沢金堀衆の屋敷跡」。日影沢金山跡とは、静岡県の中央部を流れる安倍川の上流、山梨県の県境に近い梅ケ島温泉郷周辺に在った金山である。江戸時代に隆盛を極めた同金山について、氏は自らの足で徹底的な調査を続けている。今回も、ビデオ映像を交えて、実感溢れる研究発表であった。先ず天正三年(1575)に同金山が発見されて以後の大筋の歴史を解説された。明治の初期に鉱山は一般に開放されたが、採掘は衰退して行った。昭和八年に採金されており、これが最後の稼業であった。今回のテーマは同金山の金掘りに従事した人々の屋敷跡の実態を探ることである。幸か不幸か寛政四年(1792)に台風による山崩れで死者25名という大災害が生じたが、この時に役所に届け出た絵図が残っているので、この絵図と現在の屋敷跡とを比較できる。氏は自分で実測して作成した図と比較しながら、金掘り衆が家を構えていた跡をビデオで詳細に示してくれる。今は樹木や雑草がうっそうとしているが、確かに住居跡は斜面が削られ平坦になっている。雪隠、井戸、かまどの跡もみえる。日影沢金山の内でも、今回は楠沢周辺の「長盛鋪」と、大黒沢周辺の「大黒鋪」の二箇所の紹介であるが、庚申塔、八幡神社跡などを含め20箇所近くの拠点が確認される。苔むした石垣や拠点から拠点への通路跡も残っている。氏が根気よく調査を続けられる姿勢に敬服することは無論であるが、ビデオをみることにより、実際に自分も山の中に入っていけるので、往時の人々の驚異的な努力が偲ばれる。金掘り衆も男の一人一人だけでなく、結構家族を構えていたことが分かった。▽二番目の発表は望月古亶氏の「纏向遺跡と『日本書紀』」。昨年、奈良県桜井市の纏向遺跡で、3世紀前半の大型建物跡一棟が見つかった。同時代の建物としては国内最大の面積で、邪馬台国の女王・卑弥呼が君臨した時期にあたり、「邪馬台国の中枢施設の可能性がある」などと、その「所在地」論争に影響を与えている。氏は自ら考案した「伝承年代推定法」および「系図年代推定法」により、『魏志倭人伝』に卑弥呼が登場する景初三年(239)は、日本では景行天皇の時代であり、邪馬壱国(邪馬台国は邪馬壱国の誤りとする)は大和であったと考えている。さらに、卑弥呼は景行天皇の妹・日本姫命に該当するとされる。纏向は『白河本旧事記』および『日本書紀』に、例えば、「垂仁天皇二年、冬十月、都を纏向に遷す。是を珠城宮と曰ふ」。また「景行天皇四年、冬十一月、乗興、美濃国より至る。乃ち都を纏向に遷す。之を名づけて日代宮と曰ふ」。などがあり、垂仁〜景行天皇の王城が大和纏向に在ったことを示している。桜井市教育委員会の橋本輝彦氏の「農耕具が殆ど出土しない、また水田や畑の跡もないことから、非常に身分の高かった人達が集まっていたのでは」との見方も、氏の見解に一致している。尚、纏向への遷都についての『白河本旧事記』と『日本書紀』における表現方法の微妙な差から、『日本書紀』は『白河本旧事記』より後に作られたものであるとの氏の持論は時宜を得たものであった。▽三番目の発表は小生・松葉屋の「羽林中将(冷泉隆茂)と中世の須津庄」。富士市東部は昔「須津庄」と呼ばれ、その中心地である中里の東光寺の近くに、今も羽林中将(冷泉隆茂)のものと伝えられる墓石がある。墓石は小さいながらも、宝篋印塔的な五輪塔である。冷泉隆茂とは『吾妻鏡』にも登場する四条藤原氏の一族であるが、史料が乏しく、同地域との関係が明らかではない。そこで、冷泉隆茂の人物像を探りつつ、どのような理由で須津庄と関係が出来るようになったのかを研究した。@墓石に刻まれた隆茂の没年(正和四年乙卯二月八日)は誤りであろう。(その根拠は省略)A『三師御伝土代』また『本化別頭仏祖統紀』から、隆茂が須津に在住した可能性が高い。B日蓮の『立正安国論』とゆかりがある実相寺(富士市)は平安末期に創建されているが、創建時に貢献した「藤中納言」を藤原家成と比定できること。家成は隆茂より五代前の祖である。C東隣りの阿野庄(沼津市)も家成の子孫である阿野氏が領有していた。D東光寺(富士市)開山の日源和尚との関係E南北朝期、観応の擾乱(1351年)の頃から上杉(犬懸)氏が富士下方(現富士市)を領有し、上杉禅秀の乱(1416年)後に今川氏に移った。等々、根拠の説明で「理屈っぽい」発表になってしまった。〈レポート 松葉屋幸則〉
【連絡先】〒422-0845 静岡市駿河区西島365-55
篠原旭(会長)方
054-286-8659
★しんあいち歴史研究会
*平成22年4月25日(日)、春たけなわの候、京都は「八幡市」、大阪は「枚方市」両市を訪ねる研修会が行われました。題して「北河内の古代史を訪ねる」。八幡市では王城鎮護のために創建された「石清水八幡宮」。枚方市では百済王族の史跡である「百済王神社」「百済寺跡」。継体天皇樟葉宮跡伝承地である「交野天神社」を精力的に探訪しました。企画、担当は中村清、大竹三好両研修副部長。参加者38名。往路の車中では、先ず中村氏が持ち前の歯切れの良い口調にて北河内に流れる淀川流域の地形を説明されると共に今回、探訪する、八幡宮、寺院、寺社等の位置関係を明示された。探訪に先立っては、とにかく地理を頭に入れておく事が一番大事!! 北河内とは木津川、宇治川、桂川の三川が大山崎(光秀と秀吉両軍の山崎の合戦で有名)で合流し大河となる淀川と三川の一つ木津川とで作る三角地帯を指す。さらに北河内は白村江の戦い(663)の相前後して亡命して来た百済王氏一族が本拠地として勢力を張った土地。▽さて、研修第一歩は、先述の大山崎の対岸に聳える天然の要衝の地、男山へと向かう。この男山の頂上に鎮座する八幡大神を祀る「石清水八幡宮」の堂々たる社殿がある。我々はケーブルにてわずか5分ほどでラクラク頂上へ。ここは平安京の裏鬼門の位置に在り、清和天皇の御代、神仏習合の「宇佐八幡大菩薩宮」(大分県)から勧請し創建される。社殿に戦いの神・八幡神を祀り、西国から侵入する厄病を防ぐ「厄除けの神」であったが、これがやがて王城鎮護の「石清水八幡大菩薩」として都人の絶大な信仰を集める様になる。主祭神は第15代応神天皇。明治の神仏分離により「八幡社」となる。担当の大竹氏のお話では「清和源氏の嫡流・源義家がここ石清水八幡宮で元服した事により、八幡太郎義家と名乗った。以後、八幡神は源氏の守護神となるのです」と。丹漆塗りの堂々たる社殿。その周囲を180bに及ぶ廻廊が囲む。壮麗な社殿内部を禰宜・西 中道様にご案内を頂く。桧皮葺の本殿に信長寄進の「黄金の谷樋」が架けられており注目!! 又お聞きするところによると、尾張藩初代藩主・徳川義直(家康九男)公の生母お亀の方(相応院)は当八幡宮、宮司・志水宗清の子女であると。尾張を拠点とする当研究会に於いては、この浅からぬご縁がまた、うれしい。正式参拝後、善男善女で賑わう広大な境内を一巡。下山後皆は名物「走井餅」を求める。これも研修会の楽しみの一場面。▽木津川の流れ橋……全長300bの橋が洪水で流れてしまうなんて、どんな橋なんでしよう。興味津々。昼食の松花堂弁当を頂いた「四季彩館」の付近にこの気になる橋がある。皆は食後三々五々橋を見学する。増水時に水の抵抗を少なくする為にいろいろ仕掛けのある事を知る。人間の知恵って凄い!! ▽研修後半は流れ橋をあとに交野天神社へ向かう。当社の起源は延暦六年(787)、桓武天皇がここ交野原に天神を祀ったのがはじまりとする。先の中村氏「天神社の境内は蜘蛛の巣が顔に触れる様なところです……」(笑い)。やはり樹々の葉が生い茂っている。本殿の右奥に「貴船神社」がある。継体天皇が即位した「樟葉の宮」があった場所とされているが明確な根拠はないと。「樟葉の宮蹟」と刻まれた石碑が春の陽光の中にほっそりと佇む。史実と伝説がないまぜになっている地。訪れる人も少なく季節の風だけが吹きぬけてゆく。▽今回、最後の研修地は、国特別史蹟である百済寺跡、百済王神社を探訪。先述の「百済王氏」の氏寺の跡と氏神である。現在は敷地全体が広大な史跡公園になっている。入口に「百済寺蹟」と刻まれた立派な石碑が建つ。そもそも「百済王氏」とは、660年頃百済の義慈王の子、禅広が来日、亡命し、難波に居住。持統天皇の時代に、禅広がはじめてこの「姓」を与えられた事に発する。更に時代は下って聖武天皇の御代、禅広のひ孫にあたる「敬福」が、奥州から東大寺大仏鋳造のために鍍金用として黄金九百両を献上したご褒美に「河内守」の位を授かり、以後ここ河内を居住区とし勢力を広める。公園内部は美しく整備されている。こちらも先の天神社同様の閑静さ、樹々をわたる涼やかな風が頬をかすめる。発掘調査に基づいて基壇と礎石が復元されており、遠い日の威容が伝わってくる。基壇と礎石のみで後は何もないからこそ想像力を刺激して余計に楽しい。公園西隣に在るこじんまりとした百済王神社では、旅の終り、今日一日、担当の中村、大竹両氏のおかげで楽しく学び、楽しく研修させて頂いた感謝の気持ちで参拝、二礼二拍手。こちら交野は北極星、北斗七星、天の川等、星にまつわるお話も多いと聞く。まさに星のふる里……。メルヘンの世界を想像しながら、やがて帰途の人となる。
*平成22年5月23日、風薫る若葉の美しい季節。奈良は桜井市、奈良盆地の東南隅にある三輪山麓周辺を訪ねる研修会が行われました。テーマは「3・4世紀の古墳と遺跡の探訪」。このあたりは日本古代のヤマト王権のふる里。最近の考古学的発掘調査により、つとに注目を浴びている。研修会のネライはその発掘によるホットな情報を提供しながら楽しく探索しようというもの。企画・担当は諸岡茂樹、衣川真澄、高橋浩子の三氏。今回は少々マニヤックなテーマであった為か参加者は30名とやや少なめ。しかし少数精鋭という言葉もありますので……ん。残念な事は、昨夜来の雨が降り続き往路のバスの車窓超しには風雨と言ってよい程の激しさを見るが、現地は守られているかの如く小雨となり大きな支障なく研修出来たことは、まずまずラッキーとする。桜井と言えば何と言っても纒向遺跡と箸墓古墳は研修の目玉。更に付随してホケノ山古墳、慶雲寺古墳、最後に茶臼山古墳を訪ねる今回は古墳のオンパレード。往路のバス車中では衣川氏より纒向全般とそれぞれの古墳についての説明がある。資料もカラーの図や写真が満載。衣川氏は古代史研究家として本も何冊か出版されており、今回の研修には適任中の適任。更に氏は当会研修担当初デビューでもありました。主担当の諸岡氏は「耶馬台国はどこにあったか?」と問いを投げかける内容のお話であり、氏はやはり「畿内ではないか」として、箸墓はヒミコの墓であるとの考え方を述べられた。筆者である高橋は今回は研修はしないが、ヤマトの象徴的な三輪山についてお話をしました。さて、いよいよバスは現地へ到着。こちらでは桜井市歴史ガイド・中谷昌義氏にご案内を頂きました。▽研修の第一歩は纒向の中心、大型建物跡と古墳群を見学。そもそも纒向遺跡とは、3世紀前半の国内最大規模の集落であり、初期ヤマト王権の発祥の地として私達の国の生い立ちに関る貴重な遺跡。我々はまず、纒向の中心である建物群の跡地に立つ。ガイドの中谷氏のお話では前年までの発掘調査の後は完全に埋め戻されているが3棟の建物があり、検出された柱穴の大きさや、束柱の穴の大きさから推定して高さが10b前後の堀立柱式建物(宮殿)が在ったと……。ないものを見る。想像をたくましくする、いっとき。この遺跡のすぐ横をJRまほろば線の2輛の列車が走り抜けてゆく、探訪中に突風が吹く。これは「よく訪ねてくれた」とする遺跡の住人達からのメッセージか(笑い)。主担当の諸岡氏は宮殿の主は「ヒミコでは?」と主張される。筆者高橋は3世紀初頭にヤマト入りしていた物部氏の祖・「ニギハヤヒ命」ではと意見が分かれる。次に纒向遺跡群の中ではあまりにも有名な箸墓古墳と宮殿に隣接する石塚古墳を探索。いずれも前方後円墳。石塚古墳からの出土物は衣川氏作成の資料に写真で載るが弧文円盤、朱塗の鶏形木製品など興味を魅かれる。一方の箸墓は三輪山とセットになっており、さまざまな伝説に彩られている。宮内庁管理であるため立ち入り禁止。被葬者はクエスチョン。我々は周濠のほとりからこの美しい古墳を眺め、しぱし3世紀の大古に想いを馳せる。箸墓の東200bのところに位置するホケノ山古墳。ホタテ貝式の可愛い古墳。高さ8.5bの後円部に登れば桜井の町が展望。古代人と同じ目線で周囲の風景を見渡す。特筆することは我国初めての「石囲い木槨」が出土したこと。▽この桜井はそうめん発祥の地と言われ「三輪そうめん」として名高い。我が会もこちらを訪ねたならばとお昼はそうめんに決まり。副食も豊富で「食事も美味しく……」とは旅の楽しさのひとつでもある。▽さて、研修後半は今回はホットな情報を提供するに相応しい桜井茶臼山古墳に向かう。桜井市外山に所在する大型古墳は前方部が柄鏡形であることが特徴。竪穴式石室は1949年に発掘調査が行われたそうだが、この時の遺物の多さに驚く。鹿角をかたどった玉丈や玉葉、武器類、20面分の銅鏡片など。大王の墓であったろうとも。2009年6月、石棺を囲む「玉垣跡」の発見。同10月、赤い石棺全面に使用された水銀朱の総重量200`ロと推定。ガイドの中谷氏から発掘公開時には延べ7000人の見物人が訪れたと聞き、古代史ファンの裾野の広さを思う。現在は埋め戻されている。古墳の後円部に登る。普段は奈良盆地が一望出来、北の三輪山、初瀬川を望めるそうだが、今日は運悪く小雨のカーテンで遮られました。▽終日傘の花開く研修会となりましたが、それでも訪ねた古墳の被葬者が判明しないミステリアスなこの地帯をよく歩きよく学ぶ、満足のゆく一日でした。
*7月25日(日)学習会「伽国と倭国・古代の日韓関係」発表者・森田邦春副会長。会場=名古屋市中区金山、中京大学文化市民会館。時間=午前9時〜正午。〈レポート 高橋浩子〉
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(担当・守屋道治)